1. はじめに:技術者がマネジメントに向き合うということ
技術者としてキャリアをスタートした私にとって、「マネジメント」は最初、遠い世界の話でした。
開発テーマをどう進めるか、材料特性をどう最適化するか──日々の業務は技術的な思考と現場対応の連続で、管理職としての視点や役割について深く考える機会は多くありませんでした。
しかし、キャリアの節目ごとに求められる役割が変化していく中で、否応なく「マネジメント」に向き合うことになりました。
メンバーの育成やチーム全体の成果、他部署との調整や経営層への説明など、自分一人の技術的成果では評価されないフェーズに入っていったのです。
特に大きな転機となったのは、タイでの海外駐在経験です。
現地で技術部門の立ち上げを担い、採用・育成・組織づくりまで一貫して任されたことで、マネジメントというものが単なる「管理業務」ではなく、「組織を動かす技術」そのものであると強く実感しました。
本記事では、これまで技術者として歩んできた私が、どのようにマネジメントと向き合ってきたか、その中で得た気づきや成長、そして今後のキャリアにおける意味について整理していきます。
技術者としてキャリアを積んできたが、マネジメントに違和感や不安を感じている方、あるいはこれから管理職を目指す方にとって、何かヒントとなる内容になれば幸いです。
2. 技術力だけでは評価されない現実
エンジニアとしてキャリアをスタートした頃、私自身、評価は技術力で決まると考えていました。
新しい材料を開発する、課題を解決する、試作や評価で良好な結果を出す──そうした“技術的な貢献”こそが、自分の価値を決めると考えていたのです。
しかし、組織の中で経験を積み、管理職に近づくにつれて気づいたのは、「技術力だけでは正しく評価されない場面が多い」という現実でした。
特に製造業では、評価軸の中に「コスト意識」や「収益貢献」、「他部門との連携」、「人材育成」といった、より広い視野や組織全体への影響が重視される傾向があります。
たとえば、どれだけ優れた技術を開発しても、量産性やコスト、調達リスクが考慮されていなければ、実用化されることはありません。
研究開発と量産設計、営業、品質保証など、社内の複数部門と調整しながら進めることが求められる以上、自分の技術を他者にどう伝え、どう巻き込むかという「組織的な動き」が重要になると考えています。
また、駐在経験を通してより強く感じたのは、「成果はアウトプットで示さなければ意味がない」という点です。
異文化の中では、阿吽の呼吸や空気を読むようなコミュニケーションは通用しません。
だからこそ、「成果をわかりやすく言語化し、目に見える形で示す力」が強く求められました。
これは、日本の組織の中でもますます重要性を増していると感じています。
このように、技術者が評価されるには、専門性に加えて「組織全体にどう貢献できるか」という視点が欠かせないと考えています。
技術そのものだけでなく、技術を活かすマネジメントの視点やスキルが必要であることに気づいたとき、自分の中でキャリアの方向性が大きく変わり始めました。
3. 技術とマネジメントは対立しない
技術者がマネジメントに携わるようになると、しばしば「技術の時間が取れなくなった」「技術者としての自分が失われていく」といった戸惑いを感じることがあります。
私自身も、プレイヤーとして手を動かす機会が減り、会議や調整業務が増えたとき、ある種のジレンマのようなものを覚えました。
しかし、マネジメント業務に本気で取り組むようになってから見えてきたのは、「技術とマネジメントは本来、対立するものではない」ということです。
むしろ、技術を理解しているからこそできるマネジメントがある。
現場感覚や専門知識を持ったマネジャーは、現場の課題やリスクを具体的に把握でき、より精度の高い判断が可能だと考えます。
たとえば、タイ駐在中に現地スタッフの教育や業務プロセスの標準化を進めた際、技術的な背景やプロセスの本質を理解していなければ、「なぜその手順が必要なのか」を説明できず、単なる上意下達の指示に終わってしまうと感じました。
それでは、結果として、納得や信頼を得られず、改善の定着にもつながりません。
技術をベースにしながらも、どのように伝えるか、どの順番で教えるか、どのようにフィードバックを返すかといった「人を動かす力」が求められました。
また、技術開発におけるプロジェクト推進では、技術的リスクとコスト・納期・品質といった要素をバランスよく判断する必要があります。
このとき、技術を理解していないとリスクを過小評価したり、逆に過度に慎重になってしまったりする恐れがあると考えます。
マネジメントの意思決定には、技術の裏付けがあるからこそ実行力が伴うと思います。
加えて、私は「マネジメントにも技術がある」と考えるようになりました。
組織の構造を最適化する、情報を整理して伝える、メンバーの成長を設計する──これらは再現性のあるスキルであり、経験と工夫によって磨かれていきます。
技術者が習得してきた「仮説・検証・改善」のプロセスは、実はマネジメント領域にも通用するものであり、論理的思考と観察力はマネジメントにも有効な“技術”だと考えています。
つまり、技術者がマネジメントを担うことは、自らの専門性を捨てることではなく、それを広げていくプロセスだと思います。
両者は対立せず、むしろ補完し合うもの。
そう実感するようになってから、私は技術とマネジメントの両立にポジティブな手応えを感じるようになりました。
4. 組織を動かす人材育成と信頼構築
マネジメントにおいて、最も大きな責任のひとつは「人を育てること」だと思います。
私自身、プレイヤーとしての経験が長かったため、最初は「自分でやった方が早い」「任せるのが不安」と感じることもありました。
しかし、組織として成果を出すためには、自分ひとりの力では限界があることを早い段階で痛感しました。
タイでの駐在中、ゼロから立ち上げたチームでは、現地スタッフの採用から始まり、教育・育成・評価制度の設計まで、一貫して担当しました。
彼らのスキルや性格は一人ひとり異なるからこそ、まずは相手を知ること、信頼関係を築くことが何よりも重要だと考えました。
私は、メンバーを単なる部下としてではなく、それぞれが異なる経験や強みを持つ「一人のプロフェッショナル」として尊重することを意識しました。
定期的に面談を行い、それぞれの課題や目標について話し合う。
日常会話の中で性格や価値観を知る。
そういった積み重ねによって、少しずつお互いの信頼関係が深まりました。
また、タイ語や英語という言語の壁もある中で、「伝え方の工夫」は非常に大切でした。
日本語のように細やかに表現できないぶん、簡潔で、要点を押さえた伝え方が求められます。
ときには一緒にタイ料理を食べお酒を飲み、タイ語の歌を一緒に歌ったり、社員旅行などの行事に積極的に参加したりすることで、心理的な距離を縮める努力もしてきました。
さらに、人材育成においては、本人の成長意欲に応える姿勢も欠かせないと思います。
スキルだけでなく、将来のキャリアパスややりがいのある仕事を提示することで、主体的な学びと成長を促すことができると考えます。
私は、「任せて、見守って、振り返る」というサイクルを意識しながら、少しずつ権限を渡し、責任ある仕事を任せていくようにしていました。
結果的に、チームの半数は今もその現地法人で働き続けてくれており、当時の取り組みが間違っていなかったと感じています。
人を育て、信頼を築くことが、組織全体の力を引き出す最大のマネジメントだと実感しています。
5.これからの技術者に求められる視点
技術者として一定の経験を積んだ今、改めて感じているのは、これからの時代を生き抜くためには「技術力」だけでは足りないということです。
むしろ、技術を軸としながらも、その周辺にある広い視野や柔軟な思考力が、より強く求められていると感じます。
たとえば、海外との連携が当たり前となった今、英語力や異文化理解は技術者にとっても欠かせないスキルになっています。
かつては専門知識があれば通用した領域でも、今では「伝える力」「調整する力」「提案する力」が求められる場面が増えています。
特に海外駐在中は、言語・文化・価値観の違いに直面する中で、こうした周辺スキルの重要性を痛感しました。
また、デジタル技術やサステナビリティといった社会全体の変化に対して、アンテナを張り続けることも必要です。
自動車業界ひとつ取っても、電動化、脱炭素、サーキュラーエコノミーといったトレンドは、材料技術に直接的な影響を及ぼしています。
技術者であればこそ、自分の専門分野が社会や業界全体とどうつながっているかを理解し、将来に向けてどのようなスキルを磨くべきか、戦略的に考える視点が求められると思います。
さらに、キャリアという観点からも、自分の強みをどのように言語化し、どう活かすかを考える力が必要と思います。
社内だけで通じるスキルではなく、社外や業界全体でも通用するスキルに変えていく意識。
私自身、技術士資格の取得や情報発信(ブログやLinkedInなど)を通じて、自分の専門性を棚卸ししながら、その価値を明確にして、伝えていければと考えています。
これからの技術者には、専門性だけでなく、人や組織を動かし、プロジェクトを前進させるマネジメント力や、社会全体の動向を見渡す広い視点が求められる時代だと思います。
すべてを完璧にこなせるとは思っていませんが、自分の枠を少しずつ広げる意識が、次のステージを開く鍵になると考えています。
6.おわりに:現場と経営の橋渡し役として
私はこれまで、材料技術開発の技術職としてキャリアを積みながら、タイでの駐在経験やマネジメント経験を通じて、技術と組織運営の両方に携わってきました。
その中で強く実感したのは、「技術とマネジメントは両立できる」ということ、そして、「その両方をつなぐ存在」がこれからの時代にこそ必要なのでは?ということです。
現場で培った専門知識と、経営や組織全体を見る視点。
その両方を持ち合わせた人材は、企業にとっても貴重ですし、個人としてのキャリアの可能性も大きく広がると思います。
私自身も、駐在を通じて、経営に近い立場で意思決定に携わる機会が増え、視野の広がりと判断力の重要性を痛感しました。
一方で、技術者がマネジメントに移行していくことに対して、不安や抵抗感を持つ人も少なくないと思います。
実際、私も最初は「技術から離れてしまうのではないか」という迷いがありました。
しかし、マネジメントの中にも“技術的思考”は活きています。
たとえば、業務上の課題を構造的に捉え、要因を分解し、因果関係を明確にしてから改善策を導き出す──これは、まさに技術者が日常的に行っている「問題を構造化する力」です。
この思考法は、組織運営やプロジェクト推進など、マネジメントの場面でも大きな力を発揮します。
大切なのは、「自分には向いていない」と決めつけないこと。
そして、マネジメントを“別物”と捉えるのではなく、技術を活かす領域の一つとして捉え直すことだと思います。
そうすることで、自分自身の成長の幅も、キャリアの選択肢も、自然と広がっていくと考えます。
これからの技術者に求められるのは、単なる技術力の高さだけではなく、「現場と経営の橋渡し役」としての視点と行動力ではないでしょうか。
専門性を大切にしながら、組織や社会とつながる力を身につけていく──そんな技術者が増えていけば、日本の製造業にも、より多様でしなやかな未来が訪れると私は思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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